2014-02-26 第186回国会 参議院 憲法審査会 第1号
高度成長時代が終えんいたしまして、国民の皆さんの価値観というものは今大きく変わってきているわけでございまして、個性尊重、先ほど申し上げました自立性の追求、こういったところに大きく転換をしてきていると思っております。 こういった大きな社会経済情勢の変化の中で、やはり我が国の国家戦略といたしましては、国と地方の役割分担というものに思いを致していかなければならないというふうに思います。
高度成長時代が終えんいたしまして、国民の皆さんの価値観というものは今大きく変わってきているわけでございまして、個性尊重、先ほど申し上げました自立性の追求、こういったところに大きく転換をしてきていると思っております。 こういった大きな社会経済情勢の変化の中で、やはり我が国の国家戦略といたしましては、国と地方の役割分担というものに思いを致していかなければならないというふうに思います。
小学校から大学まで、競争を基盤とした教育環境づくりが自由化や個性尊重の名の下に進行しています。これらは一部のできる子対策であり、現行教育基本法の目指す全人格的成長にはつながらないことを強調したいと思います。今、公教育に求められているのは、教育基本法第三条教育の機会均等と、行き届いた教育を実現することです。 三番、教育基本法の改正によって更に競争が進み、格差が拡大すること。
さらに、個性尊重、これが放任主義に立ち至ってしまった。さまざまな問題があるわけです。 今、急いで教育改革に取り組まなきゃならない、具体的に取り組まなきゃならない。その点、文部科学大臣の決意をお伺いしたいというふうに思います。
受けたものでありますが、子供もたくさんいた時代、一クラス五十人や五十五人や、場合によっては六十人も詰め込んだような中であったという現状もあったし、全部、その後ろにいる親たちは、まず生きること、あるいは豊かになること、国もそういう方向に走っておりましたから、学校教育を、そこに過度に依存する、あるいは経済界もそれに応ずる人材を待っておった、平均的な人材を早く望むような形の中で生まれておりましたから、個性尊重
○国務大臣(遠山敦子君) 中央教育審議会、なかなかよろしいというお話でございまして、私どもも大事なことについては文部科学大臣が判断をして必要なことについては中央教育審議会に諮るわけでございますが、今のお話の点に絞りますと、平成九年の中教審の答申におきましては、個性尊重の理念に基づいて一人一人の能力、適性に応じた教育をより一層展開していくことが求められるというふうに提言されております。
「生きる力」をはぐくむためにも、個性尊重の考え方は一層推進されるべき。」というふうにうたわれております。 もう一つ、同じことでございますけれども、今回の教育改革国民会議の報告の中にも、「一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する」「一律主義を改め、個性を伸ばす教育システムを導入する」ということをうたわれております。
個性尊重を打ち出しましたけれども、公徳心等々については少し足りなかったのかな、また、ゆとり教育を打ち出しましたけれども、それが緩みとなってしまった、弛緩となってしまった、たるみにもつながってしまった、そんな心配をいたしておりますし、自主性尊重が自由放任の堕落に通じていってしまったんではないか。
昭和六十年に出されました臨時教育審議会第一次答申におきまして、教育改革の基本的方向として、個性尊重、基礎、基本の重視が打ち出されました。現在、個性尊重、ゆとりをキャッチフレーズとした教育改革は、この路線をさらに発展させたものだと考えるのであります。
それまでの集団保育を反省して、個性尊重の保育。今は何か自由保育といいますけれども、そういう言葉は使っていません、文部省は。個性尊重の保育をしましょうということで、非常に奨励してきます。 だから、今の中一は年少さんから個性尊重の保育で来まして、小学校二年間で生活科をやってきた。そうすると、非常に遊びは没頭できる。だから、一人遊びは本当に上手です。
そこから個性尊重を強調しているんですけれども、参考人質疑の際、太田参考人が次のように述べておられました。青年期の教育は、子供・青年が自分の持っている能力や個性を引き出すために、さまざまな可能性に挑戦し、試行錯誤を重ねることを保障するものでなければなりません。また、青年期はもともと危機と困難に満ちたものですが、それだけに、その教育は生きる希望と力に支えられ、それを培うものでなければなりませんと。
だけれども、そういうことは別に置いても、今文部省が新しく取り組もうとしている個性尊重の教育、そしてさまざまな子供たちの自由を保障する教育、随分すばらしいものを文部省はつくっているんです、一生懸命に。また、かつては日教組といったらもう自民党の敵で大げんかしたが、その日教組の大会へ加藤幹事長はいつも行ってただくし、新年の宴会には来てエールの交換をする、そんな時代なんですよ。
私は、これは個性に応じたとか社会の変化に応じたとか言われてつくられている学校だけれども、やっぱり外から枠づけをするようなことが個性尊重ではないんだということを子供自身が事実でもって示しているんではないかというふうに思うんですね。
その三として、これからの教育は、ゆとりの中で生きる力をはぐくむことを目指し、個性尊重という基本的な考え方に立って、一人一人の能力・適性に応じた教育を展開していくことが必要であること、すなわち、形式的な平等の重視から個性の尊重への転換が重要であるということ。
それに対します評価は、数多くの中高一貫校がございますのでさまざまであるわけでございますけれども、六年間中学生と高校生とがともに生活をする、その中での、幅広い異年齢集団を通しての人間形成という面で評価を得ているということ、それから、学習面あるいは教育面におきまして、六年間を継続してこれを行うということからくるメリット、それから、六年間という長い期間を通しまして生徒を把握するということによります個性尊重
そうした観点から、教育の徹底した見直しを進め、形式的な平等を重視する教育を個性尊重の教育へと転換していくことを基本に、制度改革にも憶することなく取り組んでいくべきでありましょう。 教育改革の成果は、必ずしも数字であらわれるものではありませんし、また、一人一人の子供たちの心の育成にもかかわることであり、長期的視野で考えていくべきものと思われます。
今御指摘の点は、第一次答申では、個性尊重とかゆとりある教育とか、そういう部分がかなり指摘をされております。そして、第二次答申では、特に、個性を尊重しつつも、今まで余りにも形式的な平等主義という中で、それぞれの子供の持っている才能を伸ばすという視点がややおろそかにされてきたのではないか、こういう反省から、特に才能のすぐれた子供のそれをさらに伸ばす、こういう視点を入れたわけです。
○阪上委員 この「審議のまとめ」の中で一番目に、「一人一人の能力・適性に応じた教育の在り方」として「「ゆとり」の中で「生きる力」をはぐくむ」ことを目指し、個性尊重を基本的な考え方とするとしておりますが、ゆとりとはいかなるものか、授業内容が画一化されている学校においていかなる方策をとろうとしているのか、また、生きる力と言うが、どのように子供たちに具体的に指導をしていかれるおつもりなのか、あわせてお伺いをいたします
そういうことで、今回特にいろいろここに書いてあるような内容を盛り込んだわけですが、例えば臨教審のときにはたしか個性尊重、それから情報化、国際化への対応、そして生涯教育とこの三つがポイントだったと思いますが、やっぱり十年目ごとに教育課程の指導要領ですか、これを改訂してきているわけですが、やっぱりそれぞれの時代の変遷に応じてテーマを選び、提言をしてきておりますし、また学習指導要領もまとめられてきたと思います
先ほど吉田松陰のことを触れたわけでありますが、吉田松陰の教育の偉大性といいますか、それはどこにあったかというと、個性尊重、いわゆる人間尊重にあった、こう言われております。まさに塾生一人一人と真正面から向き合って、塾生に対して、自分の命と命のぶつかり合いといいますか、あるいは魂と魂のぶつかり合い、あるいは人格と人格のぶつかり合いが松下村塾では行われた。
理科系がだめなら文系もあるじゃないか、芸術、スポーツもあるじゃないか、こう言って個性尊重、多様化の名で科学的な基礎学力を軽視することのないような学習指導要領の見直し、学会や専門家の意見を広く十分に求めた上での見直しが必要と思いますが、文部省、どうでしょうか。